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シンデレラの今風解釈

某掲示板で、シンデレラのクツの持ち主を探すイベントはとってつけたみたいで、ヤボったいんじゃないか、というコメントを書いた。さしづめ、今風の映画にするならせっかくの舞踏会イベントで盛り上がったところで1シーン付け加えるのはどうか? たとえばこんな感じで。

シンデレラは城の掃除婦という設定にしてみる。王子は日ごろから彼女の心の優しさに気がついているが、身分の違いゆえ、声をかけたことはなかった。
舞踏会でシンデレラを見失なったあと呆然としながら外にでると、その掃除婦を見かける。シンデレラを失った寂しさから、王子は彼女に自分のむなしい気持ちを吐露。でもシンデレラは自分が、さっきまでのダンスの相手だとは言い出せない。 王子が去り際に、ふっきるためにガラスの靴を彼女にプレゼントすることに、すると魔法の残り香?のおかげで本人だとわかってハッピーエンド。

この方がずっと話のテンポがよくなると思った。

もっとも中世的な価値観だと、周囲が認めることの方がもっとも重要で、これでは物語が終わった気がしないのかもしれない。いや、さらにいうと、物語に結末をつけるなんてのは近代の本がもたらした様式であって、もともと口承物語に終わりなんていらないのかもね。シンデレラだって、クツの持ち主探しのイベントを付け加えてみたり、さらには姉妹たちのリベンジイベントが付け加わったバージョンがあったのかもしれない。だって、子供は翌日にはベッドで昨日の話の続きをせがむものだから。


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